7月に入って、朝から日差しがもう本気ですね。エアコンの設定温度と電気代のあいだで今日も揺れてる男、どうもインヴォルブ吉村です。

今日はちょっと、不思議といえば不思議な話をさせてください。最近僕、自分の文体(ここでは勝手に「吉村節」と呼びます)をAIに教える、っていう作業をやってたんです。

なんのこっちゃ、と思うでしょ。僕も途中までなんのこっちゃでした。でもやってみたら想像以上に面白かったんで、今日はその裏側を書いてみますわ。

僕の文体に「型」があるらしい

事の発端はシンプルで、「ブログをもうちょっと楽に、でも僕らしく続けたい」っていう、ありがちな悩みです。

このブログ、気づけば33本の記事が溜まってました。ほんで思いついたんです。この33本をぜんぶAIに読ませて、「僕っぽい書き方」をルールとして抜き出してもらったらどうなるんやろ、と。

返ってきたものを見て、正直ちょっとゾッとしました。

「冒頭は、近況ひとこと→どうも、インヴォルブ吉村です→今日のお題宣言、の3点セット」

「締めは『ほな、また。』か『日々精進してまいります。』」

「前半で振った話題を、後半でもう一回回収する」

……ぜんぶ、無意識でやってたことです。自分では「なんとなく」書いてたつもりのものに、片っ端から名前とルールがついていく。自分の癖を他人に箇条書きで説明される感覚、味わったことあります? けっこうくすぐったいですよ。

関西弁は、ベタ塗りしたらニセモノになる

抜き出されたルールの中で、いちばん唸ったのがこれです。

「関西弁は、語尾・相槌・オチにピンポイントで効かせる。全面ベタ塗りは禁止」

言われてみれば、そのとおりなんですよ。僕の文章って、基本は標準語の説明文で、ここぞというところだけ「ほんまかいな」とか「〜ちゃうんですよ」が入る。全文コテコテの関西弁にした瞬間、逆にニセモノ感が出てまう。

これ、自分では一回も考えたことなかったんです。考えたことないのに、33本ぜんぶでやってた。人間の「らしさ」って、本人がいちばん分かってないのかもしれません。

で、この「らしさをルールにする」話、あとでもう一回戻ってきますんで、覚えといてください。

入稿ボタンの手前まで、ぜんぶ繋がった

ほんで今日は、その続きの作業をしてました。文体を教えるだけやなくて、書いた記事を「入稿」するところまで仕組み化したんです。

うちのブログは、記事をCMS(コンテンツ・マネジメント・システム。記事を置いておく倉庫みたいなもんです)という仕組みで管理してます。これまでは、書いた文章を管理画面にコピペして、タイトルを入れて、カテゴリを選んで……という手作業がありました。地味〜な作業です。

それが今日から、コマンド一発。書き上がった原稿が、タイトルもカテゴリも込みで、そのまま倉庫の「下書き」の棚に届くようになりました。

ちなみにこの仕組みには、倉庫に入るためのトークン(合言葉みたいなものです)が要るんですけど、これも画面に一回も表示させんまま、パスワード管理アプリという金庫に直行させました。AIと一緒に作業してても、鍵だけは見せへん。このへんの塩梅、大事やと思ってます。

ほんで、この記事は誰が書いたんか

さっき「あとで戻ってきます」って言うた話、ここに戻ってきます。

実はこの記事、その仕組みで書かれた検証第1号です。33本から抜き出したルールを覚えたAIが、僕とやりとりしながら書いて、さっきの仕組みで倉庫まで運ばれていきます。

どうでした? 関西弁、ピンポイントで効いてました? ベタ塗りになってニセモノ感、出てました? 出てたらごめんやで。でも、ここまで読んで違和感なかったんやとしたら、それはそれで、なかなか考えさせられる話やと思いません?

念のため書いときますけど、これは2026年7月の話です。半年後には「なに言うてんねん、こんなんもう当たり前やわ」って笑われてるかもしれません。それはそれで勘弁してくださいね。

AIに渡せるもん、渡されへんもん

ここまでやってみて、はっきり分かったことがあります。

文体は、渡せる。型は、渡せる。33本ぶんの「らしさ」は、ルールにして渡せました。

でも、「今日こんなことがあってん」という体験そのものと、「これ、書きたいな」という気持ちは、渡されへん。ネタを持ってくるのは僕やし、「これでええわ」って決めるのも僕です。

せやから、公開ボタンだけは絶対に人間が押す。そういう決まりにしました。下書きまでは機械が運ぶ。最後のひと押しは、僕がやる。

あなたの仕事にも、たぶん両方あると思うんです。型にして誰かに渡せる部分と、あなたにしか出されへん部分。一回ぜんぶ言葉にしてみたら、自分の「らしさ」の正体が、案外はっきり見えてくるかもしれません。

というわけで、日々精進してまいります。